鼡径ヘルニア、いわゆる脱腸

おそらくは人類が二足歩行したころより存在した可能性のある脱腸ですが、歴史に登場するのは、約2,500年前のエジプトです。脱腸帯なるバンドを利用し安静保持を図ったようです。実際に手術治療について記録が残されているのは、紀元前1世紀のローマ人、Celsusによって記載された、8種類のヘルニアと手術成功例についてでした。 しかし、実際にヘルニアの手術に革新がもたらされるのは、18世紀末から19世紀初頭にかけて、そけい部の解剖が理解されるようになってからであり、英国の外科医であるCooper、ドイツのHesselbach、イタリアのScarpa、フランスのCloquet先生たちの活躍によるものです。

註:犬や猫といった動物にも脱腸はあるそうです。

16世紀のヘルニア手術: WIKIMEDIA COMMONSより
16世紀のヘルニア手術: WIKIMEDIA COMMONSより

参考までに・・・

古代は陰嚢を切除したり、陰嚢を開けてヘルニアの袋を切除したりしていたようですが(もちろん麻酔なんてありません)、きっと命にかかわる大変な病気と恐れられていたことでしょう。

Gray's Anatomyより
Gray's Anatomyより

そもそもヘルニアという言葉の意味は、ある臓器が本来あるべき場所から脱出した状態をさしており、その部位によってさまざまな呼称が存在します。これがそけい部に出現した場合を「そけいヘルニア」といいます。

では、そけい(鼠蹊または鼡径)部とはどこを指すのでしょうか。 お腹と足の付け根の境には、恥骨と腸骨(腰骨)を結ぶ、そけい靭帯という強固な結合組織があります。このそけい靭帯の頭側、恥骨の横の部分です。 この部位に起きたヘルニアをそけいヘルニアと言います。  

Grant's Atlas of Anatomyより
Grant's Atlas of Anatomyより

その多くの場合は、腸管が脱出することがほとんどであることが、”脱腸”と呼称される所以です。

原因や症状

幼少時のヘルニアは先天的な要素が大きいですが、成人の場合はおもに加齢に伴い、そけい部の組織が脆弱になるためといわれています。立った時に軽い膨らみをそけい部に認める程度の人から、違和感、軽い痛みを訴える人までさまざまです。

寝ると膨らみがとれるという特徴はありますが、男性ですと陰嚢のほうまで膨らむような方もいらっしゃいます。多くの場合はお腹の中の腸が出るため脱腸と呼ばれますが、嵌頓(カントン)と言ってこの腸が引っ掛かって戻らなくなると、緊急手術が必要になることもあります。

済生会新潟第二病院で、2001年から2010年の10年間で手術をした約1,200件について調べてみたところ、約8割は男性で、2割の方が女性でした。約53%の方は、右側のそけいヘルニアで、男女ともに全体の約6%の方は両側のヘルニアでした。

40代、50代、60代と年齢が上がるとともに患者さんは増加し、50歳以上の方で全体の約7割を占めています。この結果を見ても中高年の疾患と考えていいと思います。また、全体の3.3%の方が、ヘルニアが戻らなくなった、カントンした状態で病院に来ており、緊急手術を受けています。緊急手術を受けた方の4人に1人は腸が壊死(腸の血流が悪くなって腐り始めること)していたため、手術の際、腸の切除が必要でした。

分類

大きく分けて、そけいヘルニアは、外そけい(間接型)ヘルニアと、内そけい(直接型)ヘルニアに分類されます。海外ではGillbert/Nyhusの分類が広く使われていますが、すこし煩雑な点もあることから、本邦ではもっとシンプルで判りやすい分類を日本ヘルニア学会が提唱しています。

この分類は、外そけいヘルニアをⅠ型、内そけいヘルニアをⅡ型、大腿ヘルニアをⅢ型と分類し、その孔の大きさで、Ⅰ-1,2,3、Ⅱ-1,2,3と判り易く分類してあります。

 

外そけいヘルニア(間接型):Ⅰ型

 男性では睾丸に行く血管や、精子のとおる精管、それを取り囲む筋肉などを含めた精索が、女性では子宮からつながった子宮を支える靭帯が、お腹の中と外をつなぐためにそけい管と呼ばれる管状の孔をとおっています。このそけい管の、お腹側の入り口、”内そけい輪”がゆるくなって、お腹の中の組織がたるんだ腹膜とともに、これをヘルニア嚢(腹膜の袋)といいますが、そけい管の中に出てくるタイプのヘルニアです。

 

内そけいヘルニア(直接型): Ⅱ型

そけい管の後ろ側、すなわちお腹側の筋肉や筋膜が弱くなってそけい管のほうへ、直接出てくるタイプのヘルニアです。そけい部の一部は、もともと弱い部分があるため、そこが加齢とともに緩んで出てきたものと考えられています。

 

大腿ヘルニア:Ⅲ型

その他のヘルニアにそけい靭帯の下側にでるヘルニアもあります。これは下肢に行く血管、大腿動脈と大腿静脈がありますが、この大腿静脈の内側から足の方にでるのが大腿ヘルニアです。この大腿ヘルニアは比較的高齢の痩せた女性にみられることが多い傾向があります。

済生会新潟第二病院で手術を受けた方では、全体の79%がⅠ型、16%がⅡ型、4.5%がⅢ型でした。

全体の4.3%の方は、以前ヘルニアの手術を受けたことがある患者さんでした。

その他のヘルニア関連疾患:

中高年の病気とはいっても、もちろん若い方でもそけいヘルニアはみられます。

ただし、若い男性でスポーツマンの方ではそけい部周囲の筋肉や、恥骨の炎症で、そけいヘルニアのように痛むこともあります。多くは安静や鎮痛薬で治りますが、中には手術が必要になる人もいます。高校生や大学生で激しいスポーツをしている人や、サッカー選手に見られる事が有り、恥骨から鼡径部にかけての筋肉や腱膜の損傷が原因と考えられ、スポーツヘルニアとも呼称されています。一般的には、すぐに手術は必要ないですが、2-3ヶ月の保存的治療で改善しない場合は、鼡径菅を補強する手術を相談しなければいけないこともあり得ます。

若い女性の場合はさらに注意が必要です。生理周期と一致して膨らむような方や、腸は出て来ないけれど袋の中に水がたまって膨らんでいるような場合は、ヘルニアの袋の中に異所性の子宮内膜症ができていたり、ヘルニアの入り口が小さく水がたまってしまった状態(ヌックのう胞Nuck管水腫といいます)ですので、緊急性はありませんが日常生活に支障を来すようであればヘルニアの袋(ヘルニア嚢)を切除して、ヘルニア門(内鼡径輪)を縫い縮める手術が必要になります。さらに妊娠中には、このそけい管の中にある円靭帯の静脈がうっ血してしまい、まるでヘルニアのように膨らむことがありますので、自分で判断せず、専門医を受診してみる必要はあるでしょう。

註:2021年4月からヘルニア分類が変更になります。

Ⅰ型 → L

Ⅱ型 → M

Ⅲ型 → F

(上図もご参照ください)

 

済生会新潟病院

手術件数 

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